マイノリティ

7/14(月)のまあやさん主催の勉強会を経て自分なりに考えた事を書きます。

勉強会の内容は、センシティブな部分なので、ここでは省略しますm(_ _)m


この勉強会で『マイノリティ』について考える事が出来たと同時に、『ふつう』というものについて考えるきっかけになりました。


『社会の中には、マイノリティ性を持ってるアイデンティティはたくさんあって、
私たちは、その多様性を認めるべきではないか?』

この言葉は、マイノリティな社会の全てに言える事ですよね。




例えば、在日外国人問題。

私が今関わっている在日ブラジル人コミュニティや
前にこゆさんに連れて行って頂いた朝鮮学校で合った生徒達。

そのどちらでも、何かしらの問題や息苦しさを持っていて、その問題に立ち向かっています。


日本は、他の国と比べて人種の多様性が少なく、外国人が少ないです。
そのため、どうしてもそういう問題を軽視しがちですよね。



日本は、『先進国』としてありえないほど、在日外国人に対しての対応が甘い。というか酷い。全然整ってない。恥ずかしいくらい。

……という↑言葉がよくゼミでます(´`)



グローバル化が~とか
異文化理解を~とか
英語教育の充実を~とか

……いう暇あったら、まずグローバル化なり異文化なりを受け入れる環境を整えて欲しいです。



今のまま、グローバル化が進んでも、根付かないまま出て行っちゃう気がします。

個人的には英語教育の充実は大賛成ですけど←
(初等英語教育について、気が向いたらブログに書きます…。)



なぜ、マイノリティに目を向ける必要があるの?
という問いに対して、

『マイノリティの持つパワー』
というまあやさんの言葉が一番しっくりきます。


人が成長するには、それまでの『普通』を壊して、『不確実(=マイノリティ)』を取り入れなければいけない。



マイノリティは、社会を変える可能性を秘めてる存在だと私も思います。


『人と違う』というだけで、どんな事でもその人の強みになると思ってます。


それを『コンプレックス』や『ハンディキャップ』と捉えてしまうのは、自分自身と社会。
どちらか一方が変わるだけでは、認識を変えるのは難しいですよね(´`)




マイノリティを受け入れる社会になるのは、まだまだ時間が掛かると思いますが、
少なくとも、私自身はマイノリティを受け入れられる人間でありたいです。